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なぜブログは読むだけの人が多いのか?ブログに挑戦して分かったこと

なぜブログは読むだけの人が多いのか

ブログは読むだけの人が多くて、書く人は少ないよね、なんでかな

うん、読むだけの人が多い理由は次のとおりだよ

先に結論だけ見とき
  • 検索結果を読めばそれで用が済むから
  • スマホの普及によりTwitterで書くほうが便利になったから
  • ブログのネタにできる体験をもち、かつ、書く行為に至る人が少ないから
  • 専門的知識を提供できる人の絶対数が少ないから
  • 収益が動機なのにそれが達成できない人が多いから
  • 人間の性質は基本的にTAKERであるから

この記事では「ブログを読むだけの人が多い理由」について述べていくよ

目次

ブログを書くのは、たったの7%

統計資料
出典:LINEリサーチ

検索で疑問が解決すればそれでおしまい

この統計を見ると、書くのはたった7%です。ほとんどは読むだけの人ってことです。この理由、最初に思い浮かぶのは、「検索で疑問が解決すればそれで用済み」というもの。

人は疑問や心配事がある時に、GoogleやYahoo!で検索します。すると検索結果にはいろいろなサイトが表示されます。その中から1つ2つクリックして、行きつくサイトがどこかのブログ。

そのブログを見て、自分の疑問や心配事を解決してくれる記述を探します。無事解決できれば、それでそのブログは閉じてしまう。ブログの名前を覚えることもなく「あーよかった」と思って検索前の作業に戻ります。

読んだからといって書く行為には至らない

この時「よし、疑問が解決できた、だからわたしもブログを書くぞ」とは思いませんよね。多くの人なら「よし、疑問が解決できた、元の作業に戻ってさっさと仕事を終わらせて、ごはんを食べに行こう」です。疑問が解決できればそのブログとはさようなら。

そんな人がほとんどだから、書く人は7%です。

これが、最初に浮かぶ「なぜブログは読むだけの人が多いのか?」の答えだと思います。でも私はお節介なので、この点についていろいろ調べて考えてみました。

ブログにおいて「書く」と「読む」を分けるものは「動機」の有無

読むだけのほうがお得

書く側は、時間と手間と、場合によってはお金までかけて記事を書いています。自分の経験や知識を、惜しみなく記事に書いて、世間の人に提供しています。読む側は、タダでその情報を手に入れて、ありがとうも言わずに去って行きます。

ふつうに考えたら、読むだけのほうがお得ですよね。

なんでわざわざ「書く」の?

あえて書くのはどうしてか。そこにはなにか動機があるはず。時間と手間とお金をかけてまで書く動機が。よほどよこしまな動機か、おいしい動機ががあるんじゃないかと思ってしまいますね。

いろんなブログを見ているうちに分かったことなんですが、ブログを書いている人たちは大きく次のように分類されるんです。

専門知識を披露したい人たちのブログ
趣味を詳しく披露したい人たちのブログ
日記をたらたら書き散らしたい人たちのブログ
お金を稼ぎたい人たちのブログ

ざっくり、こんなふうに分けられると思いました。

動機があれば書く

そして、それぞれのブログには、それぞれに書く動機があるんです。その動機があれば書くし、無ければ書かない。

また、最初はあった動機が、途中で無くなればそこで書くのはやめる。こんな感じです。

そして、動機が継続している人たちが7%しかいないということ。残りの人たちは書く動機が無いので「ブログは読むだけでいい」と思っているのです。

日記ブログについて

日記ブログを書く動機

日記ブログを書く人の動機は、

日々の自分の考えや気持ちを記録したい
自分の経験や知識を他の人と共有してつながりたい
あわよくば収益を得たい

です。

日記はふつうは他人に見せない

ただ、日記といっても、個人的に書く日記とはぜんぜん違います。日記ってふつう、他人に見せませんよね?

「わたし、青山さんのことが好きで好きでたまらないの。今日もエレベーターで一緒になっちゃったわ。ボタンを押す指がふれあって、心臓が口から飛び出しちゃった。もうこの気持ち抑えられない、たぶん青山さんも私に気があると思う、こないだ目が合ったし。青山さんはわたしのものよ、ぜったいに誰にも渡さない、あした出口で待ち伏せして告白するわっ」

こんなことをブログに書いたら、それを読んだ青山さんは明日会社に来ませんし、また、青山さんにひそかに想いを寄せる早川さんが、あなたのお茶にコオロギを入れるかもしれません。こういう日記は誰にも見せないで、机の引き出しにそっとしまっておくものです。

日記ブログは他人に見せるために書く

ブログに書く日記は他人に見せるための日記です。他人に見せるなら、かっこつけて書きますよね。自分を良く見せたい、自分のハイソな生活を友達にさりげなくアピールしたい。

チョコモナカジャンボと爽しかたべたことないのに「ハーゲンダッツをいただく午後のひととき」と書いてしまったり。自慢する気はなくても自然と自慢気でいやらしい記事になりがち。そんなことが見透かせる日記ブログはたくさんあります。

そうなると、日記ブログを書いている人にとっては、ブログを書く動機は「人から賞賛されたい」「承認欲求を満たしたい」、それによる「ストレス解消」なのでしょうか。笑われるようなことは絶対に書きませんし、秘密の告白もしません。

読む側としては、あなたが青山さんに告白してどうなったのか?と、その後の早川さんとの血みどろのバトルのほうを知りたいんです。アイスクリームの話はどうでもいいんです。

これは読者の多くが思っていることなので、やはり日記ブログは読まれませんし反応も来ません。

読者からの反応が無いとつまらない

読み手からの反応が薄いと、書く側は面白くありません。

もともとブログにはコメント欄がついており、そこへ読者からのコメントがなされます。「わぁ!わたしもアイスたべたい!」とか「お子さんの写真かわいい、天使みたい!」と書かれて「ムフフ」と喜びたい書き手。

そこに何も書かれないと、もうブログを書く側はつまらなくなってしまいます。書くのやめようかな…。

ほら、書き手が減る原因の1つがここにもありますよ。

スマホの登場でTwitterとInstagramへ民族大移動

ところが、都合の良いことに、スマホの登場によってTwitterやインスタグラムが現れました。

これは、他人に見せるための日記ブログを書いていた人たちには、とても都合の良いツール。なにせ、ハッシュタグやリツイートという便利なシステムによって、自分の書いた日記を拡散してもらえるのですからね。

スマホはいつも携帯していますから、外出先で、いつでも書くことができます。こんな便利なものができちゃったので、もう自宅でキーボードをカタカタ叩いてブログを書く必要は無くなりますね。

おまけに、スマホにはカメラがついています。おいしいアイスクリームをスマホでパシャッ!と撮って、そのまま「午後のハーゲンダッツ」とやれるのです。とってもお手軽で便利。

スマホの登場によって、日記ブログを書く人の多くがTwitterやインスタグラムへ移動しました。それによって、「ブログで書く人」の割合は減りますよね。これも、ブログは読むだけの人が多く、書く人が少ないことの要因の1つになっているのだと思います。

小まとめ
  1. 日記ブログは秘密の日記でなく、他人に見せる用の日記です
  2. TwitterとInstagramが登場しました
  3. 日記ブログを書いてた人の多くが、拡散に便利なTwitter・Instagramへ移動しました
  4. ブログで日記を書く人が減ったことで、書く人全体の割合が減りました

自分の趣味を詳しく語りたいブログについて

趣味ブログを書く動機

旅行ブログ、読書ブログ、映画ブログ、料理ブログ、語学ブログ、投資ブログ…、趣味のブログのジャンルは多岐にわたります。

趣味ブログを書く人の動機は、

同じ趣味をもつ人たちと交流したい
趣味で得た経験を広めたい
ノウハウを共有したい
やってみた成果を発表したい
活動記録として残したい
あわよくば収益を得たい

でしょう。

そして、行動+ブログで記録に残す、までをやって完結だと考えている人も多いです。

趣味ブログは実用性が高いので読者も多い

趣味ブログは日記ブログとはちがって、実用性の高いブログです。

キャンプが趣味の人が、キャンプのブログを書けば、そこには各キャンプ場の情報や実際の体験談が書かれます。そして、キャンプ用品の説明だったり、アクセスの話だったり、実際のトラブルの話はとても有益です。

このような実用的な記事は「読みたい」と思う人が多いので、読まれます。

詳しく書くならTwitterよりブログ

こういった趣味のブログは、「詳しく書きたい」人や「多くの写真を載せたい」人、または「自分の体験を1つのブログにまとめておきたい」人には、とても便利なツールです。

読む側としては、実用性のある情報の場合、TwitterやInstagramで見るよりも、ブログでしっかりと丁寧に整理されたものを読むほうが、わかりやすいです。

趣味ブログを書ける人は少ない

ただ、記事に書けるほどの体験をもっている人は少ないです。体験のある人そのものに希少性があります。

実用に足る体験をもっている側と、もっていない側。体験をもっている側の割合のほうが少ないのは当然ですね。

したがって、趣味ブログの場合、読む側の人は多くなり、書く側の人は少ない、ということになると思います。読むだけの人が多い理由です。

趣味での体験を書く人がいたとしても、ブログ上で書くのか、それともTwitter上で書くのか。Twitterのほうへ行ってしまうと「ブログを書く人」は減り、その結果、残りの「読むだけの人」の割合が相対的に増えます。

これも、ブログは読むだけの人が多く、書く人は少ないことの原因の1つになっていると思います。

専門家ブログについて

専門家がブログを書く動機

専門家ブログは、たとえば医師の書いている記事を思い浮かべてください。医師がブログで発信する動機は

医療に関する正しい知識を発信したい
一般の人の健康意識を高めたい
医療現場で感じたことを広めたい

このくらいでしょうか。

専門家ブログを読む機会は多い

一般の人が、体に不調があって心配な時には、Googleで検索しますよね。

そこで医師の書いたブログを見て、自分の状態がどんなかんじかを大まかに予想し、たいていは悪いほうの記述ばかり信じてさらに不安になるのですが、翌日、病院へ行ったりします。

その際に、何科へかかれば良いのだろうか、とか、医師にどんなふうに症状を説明しようかな、など、医師に会う前の心構えなどを準備していきますね。

趣味ブログの時と同じで、この類の記事も、世間の人に大いに需要があるので、読む人がとても多いです。

専門家ブログを書ける人は圧倒的に少ない

しかし、書く側に立てるのは、医師免許のある経験豊富な医師だけ。読む人と比べれば圧倒的に数は少ないです。

これも、ブログは読むだけの人が多く、書く人は少ないことの要因の1つです。

専門家ブログは医師以外にも、弁護士、会計士、税理士、その他、職業に応じてさまざまな専門ブログがあります。

いずれにしても、専門家の数は、一般人に比べて圧倒的に少ないので、読む人と書く人の比率を大きく引き離しますよね。

あわよくば収益を得たい

収益の志向

日記ブログ、趣味ブログ、専門家ブログのうち、前者2つには「あわよくば収益を得たい」という動機があります。

ところが、専門家ブログにはほとんど収益志向が見られません。それは専門家ブログを書く人は本業の収益が高いので、ブログで稼ぐ必要性をそれほど感じないからです。

それに、専門家として名前や医院名、事務所名などを公表しているのだから、そこの宣伝になればいいやと考えています。

収益があがらないとモチベーションが下がる

日記ブログ、趣味ブログのほうは、「収益をあげたい」という動機があるので、もしも収益があがらないとなると、書き手のモチベーションが下がることもありえます。

すると、書き手がまた減ることになり、読み手と書き手の比率が、さらに開きます。つまり、読むだけの人の割合が増えます。

「もらうのが好きな人」と「与えるのが好きな人」(TAKERとGIVERの話)

「もらう人」と「与える人」

ブログを書く人と、読むだけの人について考える場合、「もらうのが好きな人」「与えるのが好きな人」の特徴で考えてみたら、新しいことが見えてきました。

人の性質を、2つにくっきり分けることはできませんが、ここでは思考の実験としてあえてハッキリと分けてみました。

もらうのが好きな人は、他人からもうらうことで、嬉しくなります。
与えるのが好きな人は、他人を喜ばせることで、自分自身が嬉しくなります。

「もらうのが好きな人」になりやすいのは、次のような人ですよね。

自分のことが一番大事
勝つことが大好き
状況をうまく使う

「与えるのが好きな人」になりやすいのは、次のような人ですよね。

友達の気持ちをよく理解する
友達のために自分のモノをあげる
みんなが喜んでいることが好き

ブログの場合

ブログを読むだけの人は「もらうのが好きな人」です。

ブログを読むだけの人は、情報を受け取る立場に居続けます。彼らはブログから情報や知識、感動を受け取る側で、それが彼らにとっての価値となります。

ブログを読むだけでなく、書く人は「与えるのが好きな人」です。

ブログを読むだけでなく、書くこともする人は、自分の考えや知識を他人と共有して「与える側」になります。彼らは自分の体験や知識を読者に「あげる」ことで貢献し、しあわせを感じます。

ブログを読むだけの人が多い理由は、「もらうだけの人」が多い理由を考えてみれば、見えてきます。

次に、もらうだけの理由を考える手がかりとして、心理学、行動経済学、ミクロ経済学のそれぞれの簡単な視点を使い、ブログに適用して考えてみます。

心理学の観点から:自分の地位や特権が奪われる

自己中心性

たとえば、子供が友達とお菓子を食べる時、ある子供はお菓子をともだちにあげずに、全部ひとりで食べてしまったとします。それは、その子が、お菓子を友達にあげると、自分の食べる分が減るからです。

もらうだけの人は、自分の利益を最優先します。これを心理学で「自己中心性」といいます。この自己中心性の高い人は、自分の視点だけから世界を見る傾向があります。

だから、他人となにかを共有することを好みません。なぜなら、自分がもっているものを他人と共有すると、自分の地位や特権が奪われると感じるからです。

ブログにあてはめてみる

これをブログに当てはめてみます。

自分がもっている情報をブログに書いて発信してしまうと、読んだ人に情報を奪われてしまいます。

自分だけが知っていると思っていた情報が、他に人にも知られてしまい、それを嫌がるので、書かないのです。

読むだけの人は、自分の知識をぜんぶ自分だけのものに、しておきたいのです。

だから、読むだけの人でいつづけ、自分のもっているものを特権として保全しつづけて安心します。

行動経済学の観点から:相手が得をしたぶんだけ自分が損をする

ゼロサム思考

たとえば、クラスの中でいちばん良い点数を取る子供がいたとします。この子供が他の子に勉強のコツを教えてしまうと、他の子供も良い点数を取れるようになるでしょう。

ですが、教えた子は1番を取れなくなるかもしれません。だからその子は他の子に勉強のコツを教えませんでした。

これを、ゼロサム思考といいます。一方が得をするためには、他方が損をしなければならない。そうして全体としてはプラスマイナスゼロになる、という考え方。

自分が与えれば相手が得をする。そしてプラスマイナスゼロにしなければならないので、相手が増えたぶんだけ自分は減らされるのだ。それは嫌だから与えないぞ。こう考えてしまうのです。これがゼロサム思考。

ブログにあてはめてみる

これをブログに当てはめてみます。

自分の情報をブログに書いて公表すれば、それを読んだ人は得をします。読んだ人は知識という価値を獲得します。

すると、プラスマイナスゼロにするには、書いた人の知識の価値を減らさなければなりません。それでは書いた人は損です。だから書くのはやめて、読むだけでいよう、と考えるのです。

ミクロ経済学の観点から:自分だけがもっていたい

財の希少性

ある子が、ポケモンカードを集めていました。その子にはお気に入りのカードがありました。しかもそのカードは他の友達は誰ももっていません。見せてあげればみんなが彼を「すごい、いいなぁ~」と言ってくれるでしょう。

しかし、彼はそのカードを他の子たちには決して見せませんでした。

なぜなら、見せてしまうと他の子たちもお店でそのカードを買ってしまい、彼だけがもっているという希少性がなくなってしまうからです。レアでなくなってしまうのです。

ミクロ経済学の観点から見ると、情報は「財」です。そして、その財の価値は「希少性」で決まります。

みんながもっていない財は価値が高く、みんながもっている財は価値が低いのです。

ブログにあてはめてみる

これをブログに当てはめてみます。

ブログを読むだけで書かない人は、自分がもっている情報を公表しないことで、そのレア性を保ち、自分の情報の価値を高いままにしておこうとします。

だから、「読むだけでいよう」と考えるのです。

このように、いろんな学問的理論からも、人がブログを読むだけで、書かない理由は説明できてしまいます。これは人間のもつ本質的な特性なのだと思います。

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